四国で暮らすクリエイター発信のWebメディア、しこくらいふ。
ローンチ発表とともに「面白そう!」「楽しみ!」という声が続々と寄せられ、
当事者が一番、どきどきしています。
しこくらいふは、なぜ立ち上がったのか。
しこくらいふとは、いったい何なのか。
この対談シリーズは、しこくらいふ編集長・髙坂類がゲストにこの謎を突きつけて歩きつつ、
そのままコンテンツにしてしまおうという企画です。
(構成・高田ともみ)
第1回
髙坂類 (しこくらいふ編集長)× 皆尾裕(あかがねミュージアム)
●四国は大陸なのか?
類 皆尾裕さん、今日はよろしくお願いします!
まず、このWebメディアしこくらいふ立ち上げの経緯を説明しますね。
わたしは約6年前に、ここ愛媛県の新居浜(にいはま)市に引っ越してきたんですが、いま、ここでの暮らしをほんとうに気に入っているんです。
わたしは新潟県出身で、大学からは10年ほど東京に住んでいて。東京で愛媛県出身の方と出会って、8年前に結婚しました。
その後2年くらいは東京で暮らして、わたしは都会が好きなので東京にずっといたい気持ちが強くあったんですね。でも東日本大震災と、その後の第1子の妊娠をきっかけに、夫の故郷である愛媛県 新居浜市に移住しました。
引っ越してすぐに初めての出産、育児があったこともあって、それこそ1年以上ほとんど引きこもりで(苦笑)、なかなか友だちもできなかったですし、すぐには生活を楽しめていなかったんですけど。
いまは、四国に来てよかった!! と、日々しみじみ感じていて。
とにかく、愛媛も、四国も、ほんとうに良いところだな〜って、毎日思っているんですね。
それで、気候だったり人だったり、自分が日々感じている“四国の良さ”みたいなものを少しでも伝えていきたいと思って、個人でブログ「しこくらいふ(旧hink DESIGN blog)」を始めたのがそもそものきっかけです。
皆 はい。
類 それで、愛媛県新居浜市でのわたしの日常を、ブログという個人レベルで発信していたんですが。
それを、近隣で活動しているフリーのイラストレーターやフォトグラファー、ライターなどのクリエイターの方々が見てくださっていて。
なぜか自然に、一緒にWebメディアを作りたいと集まってきたんです。
それがもともとの流れで、ほんとうに「川ができた」みたいな話なんです。
皆 一人ひとりの源流が合流したってことなんですね。
類 ふつう、メディアって、何か熱いものがあって、こんな情報を集めて、こういう人たちに届けるんだ!っていうのが立ち上がりだと思うんですけど、そういうわけじゃない。
自然に集まってきて、一緒にやりたい、と始まったのがしこくらいふ。
だから、わたしとしても、編集長のイスに座ってみたものの、どうしてみたものかなというのが正直なところで(笑)。
皆 しこくらいふという名前は誰が?
類 わたしです。
皆 最初に聞いたとき、僕はけっこうハードルが高いなと思ったんです。しこくで、らいふか、と(笑)。
つまり、しこくらいふ=これだ、っていう答えを見つけるのが難しいなと。
僕自身の暮らしを振り返っても、「これって四国らしいのかな」という疑問があって。僕の出身は新居浜ですが、じゃあ四国が地元かどうかって、よくわからない。
生まれてから四国に18年住んでいましたけど、僕が高知の太平洋を見たのは社会人になってから。
みかん食っておいしいな、というのは原体験としてあるけど、4県をまんべんなく語るのは、けっこう難しいことなんじゃないかと。
類 そうですね。もしかしたら失礼な言い方になってしまうかもしれないんですが、わたしにとっては4県がひとまとまりの「四国」っていう捉え方だったんです。外から見たら、それがひとつ。
ブログの名前をつけたときも、とにかく四国に引っ越してきて日常を綴るのだから、うん、しこくらいふって。
外から来た人間としては、もう、この大陸に来た!っていう感覚だったんですね。
皆 もしかしたら、僕らは瀬戸内圏内だという認識のほうが強いかもしれない。
類 そうなんですね!
しこくらいふっていう名前から想像されるメディアのクオリティが高すぎて、自分でも、どうしようって(笑)。
いまのところ「とうよ(東予 ※新居浜市など、愛媛県の東部エリア)らいふ」になりつつあるんですけど…。
●クリエイターが集まることの意味
皆 しこくらいふがこれからどうなるのかって想像したときに、僕の中では、いわゆる“丁寧な暮らし”をしている人たちを取り上げていくのかな?とも思いました。
丁寧な暮らしをしている人たちのことを、僕と僕の妻くらいの間では「丁寧な暮らしクルー」って呼んでいるんですけど(笑)。
類 良いですね(笑)。
皆 僕も好きは好きなんですよ、そういう人たちに憧れはある。
メディアとしては、伝統工芸、伝統文化を大切にして、ロハス、スローフード、そういうキーワードがヒントになるようなもの。
でも、そういうメディアってすでにけっこうあるし、それこそ『せとうち暮らし(現・せとうちスタイル)』や『四国大陸』なんかもそういうコンセプトだったのかなって思うんですけど。
類 そこはちょっとしこくらいふは違いますね。
このメディアを立ち上げようと最初にfacebookページを作って告知をしたときに、たくさんの方から反響をいただいたんですが。
そのとき、わたしたちが意図していることと、「いいね!」してくださった方々が期待されているものが、もしかしたら違うかもしれないと感じることがありました。
すごく壮大な期待をされている感じが。とても光栄なことではあったんですが。
皆 「物語を届けるしごと」はどうご覧になりました?
類 けっこう近いと思いました。フォロワーが多くて、すごいですよね。
しこくらいふは何が違うかというと、個人でもできることを、わざわざ何人か集まって同じ場所(サイト)ですることだと思うんです。
この間、PRプランナーさんを東京からお招きして、しこくらいふについて助言をもらったんですが。
そのときに「発信は個人レベルでもできるけれど、クリエイターが集まって何かするというのはちょっと面白いから、みんなでやる意味をよく考えたほうがいい」と言われて。
「みんなでやる意味」がないと、たぶん途中でそれぞれが自分のメディアを持って空中分解してしまうと。
(編) 皆尾さんは、しこくらいふにどんな期待を?
皆 そうですね、この対談の話がきて、あれ、僕はしこくらいふには入れてもらえないのかな、って(笑)。
(全) (笑)!
類 わたしたちも、もっと外と関わりたいと思いつつ、どういうふうに仲間を増やして、交流していったらいいのかわからなくて。ぜんぜん、クローズにしたい意図はなくて、交流はどんどんしていきたいんですよ!!
…と、ちょっと話は飛んでしまいますが、皆尾さんは、普段はどういうお仕事を?
皆 僕は、このあかがねミュージアムという総合文化施設で、いろんな芸術が生まれるのを隣で見ている(笑)。
類 企画をされたり?
皆 企画自体は市がやったり、職員がやったり、その総務や調整をしています。
僕はここを管理運営しているケーブルテレビ局の所属ですが、デジタル放送が始まってからは競争が非常に激しくて。
もっと地域に目を向けていかないといよいよやばい!という危機感のもと、こういうコンテンツを生み出せる箱ができた。
そこに関われるのは非常に面白いんじゃないかと思って、自分でここの勤務を希望したんです。
類 ほう!
●クリエイティブが街を活性化する
皆 ちょっとかじった勉強の中でも、アートやクリエイティブなことが街を活性化すると感じていて。
リチャード・フロリダって言う人が書いた『クリエイティブ資本論』っていう本があるんですけど、それが非常に印象的で。
類 わたしも先輩(皆尾氏)に薦められてすぐ読みました。すごくわかりやすい本ですよね。
皆 ゲイ指数、いわゆるLGBT(セクシャルマイノリティの総称)といわれる人たちが集まっている街は元気がいい、活性化しているよという統計データがあるんです。
そして活性化した街には、クリエイターやアート分野だけじゃなくて、医者なんかも含めて、集まっている。
手に職を持っている人というのかな、ロボットに代替可能じゃない仕事をする人々。
そういうことを感じていたので、このあかがねミュージアムがいろんなコンテンツを生み出す場所になればいいなと思いますし、その瞬間に立ち会いたいと思いますね。
(編) 新居浜も、クリエイティブで活性化する可能性があると?
皆 僕は、新居浜にはその土壌があると思ってます。
住友(※愛媛県新居浜市は住友グループの企業城下町)に勤める方たちは、転勤で、新居浜でちょっと暮らしたことがある方も多くて。意外と多くの方が新居浜のことを知っていると思うんです。
そういう、新居浜にゆかりのある方々が各界で活躍されているのを見て、この街には何かあるんじゃないか?っていうのは感じていて。
ちなみに、ここで一番最初にやった企画展は「新居浜―日本」といって、日本と新居浜のつながりを探るのがテーマだったんです。
日本の近代美術においては、住友が別子銅山で得た利益を美術界に還元して支えていた事実もあるんですよね。そのつながりを見るのはちょっと面白かったです。
(編) あかがねミュージアムができたことで、クリエイターが増えているような気配はありますか?

皆 うーん、まあ、「使わせてほしい」という話はよくありますけれど。それは箱ができれば、どこもそうかもしれない。
でも、ここは本当に通過する場所であって、ここから交流が生まれたらいいなっていうのはすごく思ってるんですよ。
この間、外国人の方が来られたんですが、話を聞いたら西条(※新居浜市の隣市)で暮らしているアーティストさんで。
「ここに来れば何かそういう出会いがあるかもしれない」と思って来たって。
それにはとても感激して。そういう場所にならないといけないなと。
だからしこくらいふのみなさんにも、ここを使っていただけたら嬉しいですね。
類 ありがとうございます。
クリエイターだったり、目指すものがちょっと近かったりする方たちが、もっと気軽に関わりを持てたらいいのにって、いつも思っています。
しこくらいふのメンバーは自然に集まってきましたけど、共感してくださる方はきっと、もっといるはずなので。
しこくらいふが、そういうクリエイターたちの交流の場になって、メンバーはそんな「場づくり」ができる人になれたらと思います。
それは実は、以前からずっと思っていることで。わたしがいま経営しているデザイン事務所がサロンのようになって、そこにクライアントも来るし、ぜんぜん知らない人も来る。ちょっとお茶も出してあげて。
そこで新しい仕事が生まれて、クリエイター同士がつながる。そんな場づくりができたらいいなっていうのは、ずっと思ってますね。
●登竜門的メディアに?!
(編) ところで、お二人には接点があるんですよね?
皆 年代は違うんですが大学が同じで、しかも同じ著名な音楽サークルにいたんですよ。「早稲田大学ソウル研究会GALAXY」。
このサークル出身者は音楽業界に入る人が多くて。メディア系も多いかな。
僕の代の部長なんかは、Amebaのヒップホップサイト『Amebreak [アメブレイク]』の編集長。ヒップホップグループの RHYMESTERも出身者ですね。
同じ大学出身はまあいるとしても、同じサークル出身者が新居浜にいるっていうのは、非常にびっくりしました。
類 運命です(笑)。
(編) そのサークルにも、ちょっとアイデンティティがあるわけですね。
皆 そうですね。OBが立派にやっている人が多いので、そこ代表ですとは恐れ多くて言えないですけどね。サークルができて40年くらい。業界ともつながりが太いし、学生音楽ライターなんかも多かったかな。
類 みんなで仲良くテニスサークル、みたいなとこじゃなくて、変わった人が多くって。わたしは5年生のときに入ったんです。
大学3年生から池袋のミュージックバーでバイトを始めたのをきっかけに、70〜80年代のブラックミュージックやディスコにめちゃくちゃハマって。リアルタイム世代のお客様と色々おしゃべりして名曲を教えてもらったり、自然とDJをするようになったりしていたんですけど。
そこであるとき、お客様に「早稲田でブラックミュージック好きなんだったら、絶対GALAXYに行かないとダメだ」って言われて(笑)。

皆 しこくらいふも、そういうふうになればいいんじゃないですか。「しこくらいふ出身」とか「登竜門」と言われるような。
(編) なるほど。
類 やや、恐れ多い!
…いまは、同人なんですよね、しこくらいふは。同人メディア。
まだ、Webメディアとしてどんな形になるかわからないですけど、一度、近隣のフリーランスを集めてみたいとは思っているんです。
皆 いいですね。
類 成功しているメディアは事前に必ずコミュニティづくりをしている、という助言をPRプランナーの方にいただいて。潜在読者と交流しつつ、ファンを作りつつ、求められていることを吸い上げつつ、メディアができたときにはすでに読者がいる状態にしておくと。
かんたんなことではないですが、リアルな場でコミュニケーションをとりながらメディアづくりをしていきたいと思っています。
皆 そうですね。まずはいろんな人と四国について語ろうっていうのは、いいんじゃないですか。
一般的な統計情報とか、なんとか協会の偉いさんが見る四国の魅力とかではなくて、実際に住んでいる人の声を届けるっていうのは面白いと思う。
「丁寧な暮らしクルー」だけじゃなくて、もっと市井の人の声とか。
類 そういうアイデアも持っていました! いずれコンテンツにするかもしれません。
それにしても今日はお話をうかがって、やっぱり四国は大きいなと改めて思いました。
皆 いや、逆かもしれないですよ。
僕はケーブルテレビに勤めて、徳島の阿波踊りや、高知のよさこいの番組を放送しているけど。僕のほうが、四国4県はそれぞれ違うんだぞって思いすぎているのかもしれない。
今日話して、よそから来てる人にとっては、全部ひっくるめて四国だよ、と言われているような気がしました。
類 4県の方の認識を分析したわけではないのでわからないのですが、四国の「中の人」にしたら、当然ながら「四国」とひとくちに言っても捉え方がきっとぜんぜん違いますよね。
「しこくらいふ」ということばの大きさに対して、このメディアに、こんなしがない、わたしの文脈でしかない四国の魅力が綴ってあるだけでは…。しこくらいふに期待されそうな内容をカバーするのは、難しいものがあるなあと改めて感じます。
いまのところ、メディアというより、ギャラリーですね。わたしの部屋(笑)。
皆 ははは。
類 わたしの中に、情報を発信してなにかを成し遂げたい!とか、こういう人に届けたい!っていう強いものがあれば一番いいんですけど、いまのところ、そこまで見えていないですね。
もちろん発信をすることで、なんらかの、どなたかの役に立ちたいとは思っていますけれど。
地域を変えたいとか、芸術の感度を上げたいとか、そこまでのことを思っているわけではなくて。
四国での暮らしを自分が素直に気に入っていること、人だったり気候だったり、全体的な暮らしの満足感を何らかの形で伝えられたら、まずはそれでいいのかな、と思っています。
なぜか、だんだん話が大きくなりがちなので。
絶対、しこくらいふって壮大な名前のせいですけど(笑)。
皆 だから、四国とは何かについて、髙坂さんがある程度ゴールを見つけるまで、88人に話を聞くということで。
(全) 爆笑!
皆 今回、一番札所としては、大学のかわいい後輩に、四国について勉強してこい!と送り出すという、すごい無責任な対談に(笑)。
(編) それいいですね、この対談コーナー、88回続くわけですね(笑)。
(おわり)
(編集長あとがき)
Webでもリアルでも、「場」になれればいいなというのは常に思っていることです。
わたしは人と人を、人と情報を、何かと何かを、媒介したい。
なかだちをしたいんです。
どうしてかというと、わたしが何も持たない人間だからです。
現代では誰もがメディアですが、より意識的に、媒体の役目をはたすような存在になりたい。
しこくらいふのように、わたしに興味を持ってくださった方どうしがつながって、こうして動き出したことは、とても不思議で、とてもうれしく思っています。
後からいろんな可能性が出てきて、どこへ進んだらいいか、まだわからないところはありますが(笑)。
次回へ続きます!
最後に、適切な構成でまとめてくださった高田ともみさん、ニュアンスたっぷりの写真を撮影してくださった木村孝さん、お忙しい中お話をしてくださった皆尾裕さんに、深謝いたします。
しこくらいふ編集長 髙坂類